共同ブログ

震災の日。あの年の自分、あれからの自分をふりかえる

神戸ポートタワーのイラスト

23年前のきょう、阪神淡路大震災がおきた。
あのとき、僕は神戸市内の大学に通う学生だった。

まるで空爆にでもあったかのような惨状を目にした。
あのステキな街が。
現実のものとは思えなかった。
タイミングが悪ければ、通学途中に死んでいたかもしれない。
そう思えばゾッとする。
冬休みだったが、あの日は打ち合わせでどうしても学校に行かねばならなかったのだ。

でも、それぐらい。
あの頃の記憶があまりない。
何もしなかったし、何も考えなかったから。

なにもせず

最初は、ただ震災関連のテレビを家で見て過ごしていたように思う。
僕は当時も今も大阪府東部に住んでおり、今まで体験したことのない揺れを感じはしたがそれ以外の直接的影響はなかった。
だから、その気になればいつでも駆けつけられたが、ボランティアしようという発想がわかなかった。
いま自分が行って何が出来るというわけでもないだろうと、漠然と思っていたような気がする。

ちょうど一週間たって、友達からボランティアしようよと電話がかかってきた。
聡明でフットワークのよい彼は、学内で一つ部屋を借りてスタッフルームのようなものを作っていた。
うちの大学のボランティア基地になっていた。

僕は、事務所スタッフみたいなことをやった。
一週間、その部屋に泊まりこんだ。
東京都から支給された毛布にくるまって寝た。

でも、それっきりで、半年以上前から進めてきたあることに戻ってしまった。
打ち合わせの件は、それに関することだった。
予定通りなら、僕は遅れていることをものすごく怒られるはずだった。
こんな状況でも投げ出すわけにいかない。
誠に不謹慎だが、非常事態で挽回のチャンスが出来たのだ。

恥ずかしい

3月末になってやっと完成させたが、それからは進路選択やらなにやら悩みっぱなしで、何をやるにもおぼつかなかった。
自分のことで精いっぱいで、社会の方に目がぜんぜん向いていなかった。

震災は大学4年間でもっとも重要なことだったはず。
なのに…。

とっても恥ずかしいことだ。
このことを思うと心がざわつく。
やるべきときに、やるべきことをしなかったことで、心の中にポッカリ穴が空いている感じがする。
それに耐えきれずに距離をとってきた。
震災直後を除き、関連番組も新聞記事もほとんど見ていない。

帳尻合わせ

なぜこうなってしまったのか。
今なら分かる。
読み書きが苦手で、なんとか帳尻を合わせようとしてきたのだが、この頃になるとやることが複雑になり量も増え、質も要求されるようになって、ちょっとやそっとでは追いつけなくなっていたのだ。
それでも、絶対にやりきらねばならない責任があった。

当時は、どうしてこんなに出来ないのだろうと思う反面、生みの苦しみで誰にでもあることと解釈していた。
実際は学習障害だった。
そのことに気付くまで20年かかった。

学習障害

身の程知らずもいいところなんだが、研究者かなにか、そういう類のものになりたかった。
当然、読み書きに不自由しないことは必須だった。

20代後半で、楽に読めるのが小学校低学年向けの絵本だと気付いてショックを受けたが、そのうちなんとかなるだろうと引きこもって読み書きの練習を続けた。
小学生から高校生まで、あまり本を読まなかったので読書経験が足りないだけ、やれば出来るはずだという可能性に賭けた。

でも、いつまでたっても何ともならないので理由を探った。
軽い学習障害か、ボーダーライン上にいるようだと分かったときは衝撃だった。
全く思いもしなかったので。

変化

さて、いつもは避けてきた震災関連だが、今年はちょっと違う。
新聞記事を読んだ。
ラジオを聞いた。
わりと、すっと入ってきた。

夢は諦めたが、少しの成果はあった。
以前よりは読めるし書ける。
心に余裕がちょっと出来たんだろうな。

2018年1月17日 水曜日 でがらし