共同ブログ

善が実現せずため息

ため息

「善が実現せずため息」ってのがあると思う。
「善い社会が実現していないことに、ガッカリする」ってこと。
「善いことは存在してよく、悪いことは存在してはいけない」って思うけど、その悪いことが存在することに落胆するってこと。
「完全な善い社会じゃなければダメ」って考え。

犯罪はないほうがいいし、暴力も貧困もないほうがいいけど、現実はそうではない。でもそれは、「現実はそうではないから、それでいい」っていう現状肯定ではない。法律も改正されたりして、徐々に社会は良くなってる。今すぐ完全な善い社会なんて実現できない。

だから、少し社会の良くない部分を見つけていちいち落胆・絶望するのは、くだらないと思う。

例えば、「高齢者に席を譲らない人がいる。ハァー(落胆)」ではなくて、「今度自分が意識して、高齢者に席を譲ってみよう」って考えたらいい。「日本は寄付文化が根付かない。ハァー(ガッカリ)」ではなくて、「今度自分が寄付してみよう」って考えたらいい。「街でゴミを捨てる人がいる。ハァー(絶望)」ではなくて、「今度自分がゴミを拾ってみよう」って考えたらいい。

道徳的潔癖症っていうか、道徳的な完璧主義っていうか、完全なものを求めると憂うつな気分になると思う。しかもそれが自分に向けば、自分で自分を「自分も完璧な善人ではない。ハァー(幻滅)」って思って苦しめると思う。

2019年9月4日 水曜日 おいなり

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