でがらしの投稿記事

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りーべるアラカルトスペシャル プラレール&鉄道模型の走行展示

鉄道模型を線路に乗せて遊んでいる人のイラストです。

お昼です!の会場、りーべる王寺のリーベルホール他で、本日開催中。
http://www.liebell-oji.com/kouryu/info.htm
http://www.town.oji.nara.jp/kakuka/kyoikuiinkai/bunkakoryuka/event/alacarte/1086.html

参加すると、200円の商品券がもらえます。
(りーべる王寺の中に入っているテナントで使えます。西友では、使えません。)

今年3月にあったときの様子をつづったブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/venison_yamato_3515/35230061.html

2018年7月8日 日曜日 でがらし

NHK NEWS WEB 「ひきこもりクライシス “100万人”のサバイバル」

NHK NEWS WEB「ひきこもりクライシス "100万人"のサバイバル」

「学校に行かない子どもたち」の問題として1980年代に社会問題化し、2000年代にかけて大きくクローズアップされた「ひきこもり」。
いま、新しい局面を迎えている。
長期化・高齢化が深刻化しているのだ。
40代、50代のひきこもりの人が、高齢の親と、経済的、精神的に追い詰められ、孤立死する事態も起きている。
一方、ひきこもりの当事者や経験者らが、みずから声を上げ、社会に向けて積極的に発信する動きも、目立つようになっている。
超高齢社会に入った日本の「ひきこもり問題」、家族のありようを見つめ直す。(サイトは随時更新)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/

これまで、ほとんど、若い世代にしか目を向けてこなかった国ですが、国は、秋をめどに、40歳から60歳ごろまでを対象にした、初めての実態調査を行う方針です。
全国5000世帯ほどを対象に本人や家族から調査票を集めて、ひきこもるようになったきっかけや期間などを分析した上で、今後の支援に役立てるということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/articles/crisis_03.html

WEB特集:不器用でもいいじゃない 元エリート会社員の“ひきこもり”支援
(2018年7月6日)
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0706_2.html

2018年7月7日 土曜日 でがらし

あるとあんしん、胃腸薬

太田胃散

ときどき胃腸の調子が悪くなる。
一日寝込んでしまうことがある。
神経性とか、そういうんじゃない、たぶん。
脂っこいものが続いたり、食べすぎたりで消化が追い付かないんだと思う。

そんなとき、胃腸薬が欲しくなるのだが。
うちにはそんな気の利いたものはない。

買えばいいが、薬ってけっこう高い。
使い切ることがまずないので余計にそう思う。
万年金欠のヒキヒキヒッキーではなかなか買う気になれない。
途上国のように、もっと小分けにして売ってくれないものか。

だが、先日、ついに買った。
また悪くしたんで。
この1か月で3回目だ。
たまらん。

「へぇー、これが太田胃散かぁ。」
あれだけ宣伝しているのに、一度も飲んだことがない。
みんな持ってるのに、僕だけ持ってない状態から解放されたような清々しいかんじ。
思いのほかうれしかった。

隣に連れがいた。
この人も飲んだことがないという。
それならばと、薬局を出たころで少し差し上げた。

夜も浅いうちに帰宅。
日が変わろうとする頃になって、すっかり調子がいいことに気づいた。
さすが太田胃散だなと思った。
そのことを昼間の連れに報告した。
効くね~と。

だが、よく考えてみると…。
飲み忘れてた。
すごいね、飲んでないのに効くなんて。
どんだけプラシーボやねん(;’∀’)

2018年7月4日 水曜日 でがらし

王寺から無印良品がなくなる

撤退間近の無印良品-西友王寺店の外観

あらら、王寺の西友から無印良品がなくなるんですね。
来週、6月18日(月)まで。

昨夜、ちらっと寄ったら、商品はこれまでの1割未満ほどしかありませんでした。
無印の閉店セールといえば、商品が多く思いきりの良い感謝価格にしてくれるので、狙って買いに行く人も多いからかな。
土日でかなり売り切ったんでしょうね。

ちなみに、全国の西友から、徐々に無印がなくなっていってます。
無印自体は拡大路線なのに。
ウォルマート化が進む西友といえそう。

http://www.muji.com/jp/shop/002709

2018年6月12日 火曜日 でがらし

僕が本当に学習障害かどうか、ハッキリさせようとしない訳

鏡に映った自分をみつめる男のイラスト

読み書きが少し苦手。
たぶん、軽い学習障害(ディスレクシア/難読症)かボーダーライン上にあるようだ。
3年半ほど前に、医療機関のネットで公開している簡易検査で知った。
それっきりで、精密検査を受けたことはない。

ハッキリさせた方がよいのかもしれない。
こうやって自分のことを語るさいに、推定では弱いから。
思い込みや、仮病で言っているんじゃないかと疑われるかもしれない。
お墨付きをもらっておく方が説得力がある。

でも、あえて推定に留めている。
なぜか?

金つかって、検査して、よくなると思えない

お金がかかるというのが一つある。
いくらぐらいか知らないが、それ相応の病院に行って、検査を受けるんだろう。
そんな金はない。
それがために働くなんて、なんだかやる気が起こらない。

検査して、もっと読み書きが楽になるんなら喜んで受けるが。
そんなことはないだろう。

15年以上かかったが、まあまあ人並み程度になれた。
ここから先に向けて、何か画期的なアドバイスをもらえるとは思えない。
医者の仕事ではないだろうから。

親に気を遣う

学習障害は先天的なものだろう。
そこにあまりこだわり過ぎるのは親に申し訳ないような気がする。

自分は学習障害かもしれない、そう考えると読み書きに拘って引きこもっていることの説明がつくと一度言ったことがある。
そのときは、そうとう勇気がいった。
アホなことを言うなと頭ごなしに否定されるのは嫌だが、泣かれる方がもっと嫌だから。
幸いそのときは、意外なことを言うな、なんだそれって感じで受け取られたようだった。
でも、親に検査代をせびったり、検査を受けたことを知られるとどうだろう。

僕は、学習障害であっても親を恨んだりはしない。
いってみれば何不自由なく育ててもらって、50歳手前の今だって一円も家に入れずに気ままに実家で過ごさしてもらっている。
親子関係がいいとは言えず、売り言葉に買い言葉で喧嘩ばかりしているが。
結局のところ、うちの親はかなり甘い。
ありがたいと思っている。

もし、学習障害でないとしたら

それともう一つ。
これが一番大きい。

もし、学習障害でないとしたら怖い。
健康であることは幸いなことだが、それじゃあ、一体全体、僕はどうして読み書きが苦手なのか?

20代半ばで読み書きの問題に直面し、なんとかしようと曲りながらも取り組むようになった。
30代後半で自分が思っているよりも大きなネックになっていることを自覚し、益々のめり込むようになった。

その間、ずっと、自分が何者か規定できないでいた。
アイデンティティの喪失状態だ。
とても辛かった。
不安定な気持ちだった。

無職、引きこもりなんだが、それがアイデンティになるとは思えなかった。
好奇心を満たしたい、ものすごく得意になってなにか職につなげられたらと思ってきた。
しかし、それを一言でいえばなんなのか。
夢追い人か、テンネンか、現実みてないアホか。
どれも正しいのだが、この異常なまでの読み書きに対する執着心、低過ぎる技能、高すぎる目標のどれも言いえてない。
その点、学習障害は、ぴったり当てはまるように思う。

自分が学習障害かもしれないと分かったときは衝撃だった。
いまでもよく覚えている。

読み書きが苦手であることはもとより、勉強嫌い、集中力が続かない、やる気が起こらないといった、小学生以来なぜ自分はそうなのかとずっと疑問に思っていたいたことが、学習障害というキーワードで全て繋がった。
自分自身に対する最大の謎が突然解けた爽快感があった。

同時に、障害ならば、人並みを大きく越えるような成果は、これ以上どんなに頑張っても無理だろうから、とても悲しい気持ちになった。
逆に、訳も分からず、もうがんばらなくてもいいと、安ど感もあった。
そして、このへんで諦めて別の道を探ろうという気が初めて湧いてきた。

自分を障害者にみたてるのには抵抗がある。
でも、今のところ、これしか自分が自分であると規定できない。
もし、ハッキリさせようとして、専門家に学習障害ではないとか、その可能性は非常に低いと言われ、それに代わる僕が納得するようなもっともな表現を与えてもらえなかったとしたら?
また、あの辛い日々が待っている。
それは、何としても避けたい。
曖昧のままのほうがメリットが大きいのだ。

2018年6月4日 月曜日 でがらし

ディスレクシア(難読症)、僕の場合はこんなふう②

ブックオフに売るのに段ボールに入れている途中の本

①の続き。

ディスレクシアを疑うまでの過程

ディスレクシアかもしれないと思うようになったのは、3年半ほど前。
45歳のとき。

困難を感じてきたが、長い間、単なる苦手分野や努力不足だと判断していた。
大人になって気づく人の典型だ。

<第一段階>
小学生で、なんか読むのも書くのも遅いなと感じていた。
でも、それほど気にしてなかった。

<第二段階>
受験浪人になり、よく本を読むようになったのだが、遅読に苛立ちが募った。
でも、大学生のうちにそこはクリアできるものと期待した。

<第三段階>
大学4年で進路を決める段になっても、相変わらずだった。
それまで遊び惚けていたのならまだしも、そういうわけじゃなかった。
このままでは進路を決められない、かといってこんな悩みは恥なので誰にも相談できないと悩む。
グズグズしているうちに卒業。

<第四段階>
センスがあると勘違いされ、出版編集の仕事に就くがついて行けず。
やっぱり大学院に行こうと準備を始めたが、相変わらず読み書きに苦労している自分をふりかえって、そっちをどうにかすることが先と思い直す。
引きこもって、読書ざんまいの日々が始まる。

<第五段階>
20代後半、楽に読めるのは10才ぐらいの子が読む絵本であることに気付く。
こんなに出来ないのは小さい頃の読書不足が原因かもしれないが、今からでもたくさん読めば補えるのか、それとも無理なのか、どちらだろう。
ともかく、バカらしく思わないで地道に読み続けようと思った。

<第六段階>
30代後半、いろいろある自分の悩みの根っこは読み書きが苦手なことから来ていると確信する。
これまで思っていたよりもこの問題は大きいが、これさえなんとかなればだいぶと楽になるはず。
もっと本腰を入れて、読み書きに没頭しようと思った。

<第七段階>
45歳、ようやくディスレクシアではないかと疑うようになった。
医療機関がネットで提供している簡易検査で、軽度、もしくはボーダー上にいるらしいと出たため。

※実は、いまだに正式な検査を受けていない。その訳はまた別に書く予定。

なぜ、こんなに時間がかかったのか

学校の成績がものすごく悪くはなかった

・平均すると高校までの成績は中の下だったと思う(ときどきよい点数をとるが、ものすごく悪い点数はない)。
・入るのが難しい大学ではないが卒業している。
・小学生のとき作文の出来がよくて、よく前で読まされた。
・英検2級。

つまり、ものすごく勉強が出来なかったわけではなかった。
勉強は嫌いだったが、学ぶことが嫌いではなかった。

やれば出来たので、どうしてやらないのか。
どうしてやる気が続かないのだろう、どうしたらやる気がおこるのだろうとずっと悩んでいた。
だが、こんなことはいかにも成績がふるわない人が思いそうなことで、しんどくてもやらないいい訳ではないかとも思っていた。

それなりに楽しもうとした

新しい知識や考え方に触れると、知的好奇心をかき立てられる。
高校卒業までほとんど読まなかったが、本には憧れていた。
だから、長期戦になりそうと思ってからは楽しもうと頭を切り替えた。
そのうち、なんとかなるでいいんじゃないかと。
そうすると、原因は気にならなくなった。

原因探しは面倒くさいと思っていた

こういう、やる気が問題なのか、技術なのか、よく分からないことに首を突っ込んで調べても、結局時間をムダにしたり、ヘンな解釈をしておかしな方向にいってしまうんじゃないか。
そんなふうに考え、原因を探るなんて面倒くさいと思っていた。

仕事や他にやらねばならないことがあるときは、そっちで精一杯だし。
読みたいものや書きたいことは沢山あるし。
原因よりも、今日も読む、明日も読む、明後日も読むと、続けていくほうが確実にゴールにたどり着けそうに思えた。

実際、ディスレクシアと気付くまで、1か月ほどネットを徘徊した。
学習障害もディスレクシアも用語としては知っていたが、頭の片隅にあるぐらいだった。
自分が該当するとはまったく思いもしなかったので、なかなか行きつかなかった。

少しずつ良くなっていった

半年、一年と振り返ってみて、上達したと手ごたえを感じるようなことはほとんどなかった。
もっと長いスパンで、ある日なんとなく、最近よくなったかもと思うかんじ。
それは、たまたま調子がよいだけで、ぬか喜びで終わることが何度もあった。
それでも、よくなっているのは確かで、もう少し頑張れば、もしかすると大化けするんじゃないかと希望が持てた。

理屈っぽくいえば、学習の初期に勾配がゆるやかで、後期に急になる成長曲線を描くはずだと、自分を励ます意味で信じてきた。

原因を追究しようとしたきっかけ

足掛け15年以上、うち本腰を入れて7年かけて、なんとか人並みと言えるぐらいのレベルまで上げてこれた。
そこに至ってふと思った。
それまでは、いつになったらよくなるんだとばかり思っていたが、いざよくなってみると、こんなに時間がかかったことに改めて疑問がわき、原因に目がいくようになった。

量の割に成果が小さくないか?

多少の工夫はしているが、言ってみれば、ただ興味のある本を手あたり次第に読んでいるだけなので、これでは読みの訓練と言えないかもしれない。
書く方は、大学のときに覚えた論述の仕方を基本に、軽重や文体を調整しているだけで、効率のよい書き方を特に研究してきたわけではない。
根詰めてずっとやってる月や年があれば、まったくやってない月や年もある。

とはいえ、かなりの量を積み上げてきた。

最初から最後まで読み切ることを課し、硬軟織り交ぜ多い年で百冊以上を読んできた。
速読本の類は沢山読んでいる。
ブログやメールは練習がてら何度も書き直している。
一日10時間の読書や物書きは普通のこと。
こんなにやってるんだから、もっとよくなってもいいんじゃないか。

やる気の問題とかではないはず?

なんとかしたいと思い始めたころは、発育段階で適当な時期の読書量が足りてないことで起こる、なにか不利な状況に陥っているのではないかと疑った。
小中高の読書経験の少なさのツケが回っているかもしれないと。
あるいは、やる気がない、根性が足りないだけなのかもとも思った。
読み方が間違っているのかもとも。

しかし、ここまでやって不利を覆せないものなのか、まだ読書量が足りないのか。
読み方がおかしいなんてことは、多分ないはず。
気持ちが腐っても、諦めたらおしまいと思ってやり続けてきた自分をヘタレとは言わないだろう。

ディスレクシアなら、遺伝かもしれない

医療機関が提供しているネットの簡易検査で、軽いディスレクシアかボーダーライン上にいる疑いが出た。

ディスレクシアは遺伝性の障害なので、家系を合わせてみるとどうだろうと思った。

家族(親、きょうだい、祖父母)、親戚(父方母方の叔父叔母、いとこ)、さらに親のいとこまで含めて、学校の成績がどんなだったか知る限りにおいて比べてみた。
なぜ、学校の成績かというと、読み書きの能力と学校の成績は大いに関係があると思うから。
そうすると、ほとんどが、平均~とてもよく出来るであり、うちの家系は学校の勉強に向いているように見える。
僕は落ちこぼれスレスレだけれど。

だが、それは横に並べてみて言えることで、自分を起点に遡っていくと気になることがある。

祖父や父や叔父は、とてもよく出来た。
でも、父は読むのはどうともないようだが、書くのがものすごく下手だ。
祖母はというと、かなり勉強が出来なかったらしい。

もしかすると、祖母は読み書きが苦手だったのではないか?
それが、父と僕に受け継がれているのではないか?
可能性としては考えられる。

2018年5月31日 木曜日 でがらし

ディスレクシア(難読症)、僕の場合はこんなふう①

サイト「りたりこ」のキャプ画

僕は読み書きがちょっと苦手で、こじらせて引きこもっている。

20代後半~48歳の現在に至るまで、読んだり書いたりして過ごす日が多い。
家族からは異常な執着心と蔑まれ、自分でも45歳になるまで何で苦手なのか全然分からなかったが、ともかく粘ったおかげで今はだいぶとましになった。
この4年、特にこの1年の成果は目覚ましく、現在は人並み程度と言えると思う。

さて、この話になると、どんなふうに苦手なのか(だったのか)と、ときどき訊かれる。
いつも要領をえない説明になってしまうので書いてみた。
書いとけば、「詳しくはこちら」と、見てもらえるんで。

どんなふうに苦手だったのか

①音と文字の変換

20歳を越えても、一文字ずつきっちり読んでいかないと何が書いてあるのか理解できなかった。
多くの人は、心の中で声に出して読んでいるのだろうが、それに時間がかかった。
ごく短い商品名でさえ、一回読んでみて、もう一回読み直すことで、何が書いてあるのか理解していた。

20代後半、どれぐらいなら楽に読めるのか図書館で試したことがある。
10才ぐらいの子が読む絵本だった。
ページ数はせいぜい20ページほどのもの。

マンガを楽しめない。
吹き出しの文字でさえきっちり読まないといけないので、単行本一冊に2時間かかる。
意識が文字にいきがちで、絵を楽しむ余裕があまりない。
気晴らしにマンガでもではなく、マンガでさえそこそこ真剣に読まざるを得ない。

※現在はこの頃と比べると楽に読めるようになった。
スピードはまだまだと思っているが、疲れにくくなったことが大きい。

②背景と文字の区別

雑誌のようにグラフィックいっぱいの読み物が苦手。
きれいなので読みたくなるが、どうしても前に進みづらい、意味が入ってこない。
写真の上に文字をのせてあるだけでも、しんどく感じる、時間がかかる。
だから、よくこんなものを、みんな喜んで買うなと不思議に思っていた。

同じような理由で新聞が苦手だった。
新聞は紙面を効率よく使うため、複雑に段組みしてある。
文章はもとより、そこにストレスを感じていた。

ニュースサイトなら、個々のニュース記事はなんともなくても、PC版のトップページの複雑なレイアウトを見ると、ウッとのけ反ってしまう。
なんというか、生理的に受け付けない。

※ここ2年ぐらいで、何とも思わなくなった。
雑誌も新聞もふつうに読める。

③映像と文字の繋がり

頭の中にイメージがわくなんてことは、生まれてこの方一度もない。
だから、描写が多い小説は苦手。

※小説が苦手というぐらいのことだから、拘ってない。
イメージがわかない人は世の中に沢山いると思うし。

④縦書きと横書き

日によって、縦書きを難しく感じることあがあれば、横書きを難しく感じるときがあって安定しない。
たまにどう書かれていようが、なにを読んでも頭に入って来づらい。

※現在は安定している。

結果、こういう困難に陥りがちだった

文字を認識することに精力を取られ過ぎる

すぐに疲れる

読み切れない
意味や内容を把握しづらい
記憶に残りにくい

本から情報をえることが困難
学習意欲がわきにくい
成績が伸びない
時間がかかりすぎて、他のことに手が回らなくなる
みんなについていけない
知的好奇心を満たされず欲求不満

この流れを断ち切るために、気合を入れるのだが…。

がんばってやろう

続かない

なぜと、自分を責める

今度こそ、がんばってやろうと最初に戻る。

同じ失敗の繰り返し。
真面目に取り組もうとすればするほど、出来なくなるというジレンマ。
最低限、必要なところだけを読もうとか、やり方を変えようとするが、やっていくうちにそれでは済まなくなる。
効率よくやるには、ある程度の力が必要だから。

人によって出方が違う

おそらく僕は、字を読むことに困難がある障害をもっているようだ。

こういう障害のことを、英語でディスレクシア、日本語で難読症、識字障害、読字障害などと呼ぶ。
読むことができないと書くことも難しいことから、読み書き困難、読み書き障害と呼ばれることも多い。
学習障害の一種だ。

人によって症状が違うのだが、文字がゆがんだり、にじんだり、反転したり、そういった形の認識が難しい症状は僕にはまったくない。
このタイプの人は読むこと自体、全般的、部分的に出来なかったりする。

英語圏ではディスレクシアの発現率は10%から20%といわれているが、日本ではディスレクシア単独の調査がないので実態はよく分かってない。
「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒の全国実態調査」(平成15年3月)の「知的発達に遅れはないものの学習面で著しい困難を示すと担任教師が回答した児童生徒の割合」(LDの割合)の4.5%に近いといわれている。

ちなみに、ディスレクシアと知能には関係がない。
ディスレクシアであれば知能が低いとか、高いとか、そういう相関関係や因果関係は見られないそうだ。

引用サイト

りたりこ発達ナビ 「ディスレクシア(読字障害・読み書き障害)とは?症状の特徴や生活での困りごとは?」(鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授 井上雅彦監修) 2016/6/3

障害者保健福祉研究情報システム「ディスレクシア(Dyslexia)」 2014/2/25

2018年5月25日 金曜日 でがらし

ほぼ日手帳で、意識高い系に見られたい

ほぼ日手帳のチェックのカバー

これ、ほぼ日手帳のカバー。
たぶん、5、6年前の。
カバーだけで3,000円、本体と合わせて5,000円近くした。
それでも標準モデルなんだけど。
万年金欠の自分にとっちゃ、とっても高い買い物だった。
無理してでも欲しかったのは気合いを入れたかったから。

それと…。
というか、こっちの方がメイン。

ほぼ日の商品って、いけてる人たちが使ってそうなイメージがある。
そのブランド力にあやかりたくて。
電車の中で取り出して、「あぁ、この人、意識高そう」なんて見られたかった。
楽だから。

ブブブブブブ、ダッセェ~(;´・ω・)
成功体験が少ないからそんな風に思うんだろうな。
我ながらすんごい惨め。
それに、いろいろ選べるのに、わざわざチェックにするところが、あれだし。

恥ずかしいのでいい訳したい。
服やカバンは、なるだけマークのないものを買っている。
値段に関わらず。
歩く広告塔になりたくないから。
それもデザインのうちっていうなら別だけど。

結局、ちゃんとつけてたのは一か月ほど。
毎日が日曜日で、だからといって出かける約束がいっぱいなんてことはないし、忘れちゃ困るような用事もそうそうない。
気合いで心が動くのは一時のことだし。
手帳なんて、めんどくさいのだ。

このカバー、使うこと、またあるんだろうか。
再利用できるから残してるけど。

【ほぼ日手帳とは】糸井重里氏が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれたスケジュール帳。
2002年版の発売から16年連続で右肩上がりに推移し、2017年版は66万部を売り上げた。
近年は海外からの注文が増加(エキサイトニュース)。

2018年5月21日 月曜日 でがらし

わかっちゃいるけどグズグズ。アラフィフ引きこもりがバイトしたくない理由

塞ぎこんでいる男性のイラストです。

読み書きがちょっと苦手。
なのに、なんにも才能ない、体力ない、コミュ障。
これじゃ社会で生きていけない、やりたいこともやれない、なんとかしたいと思い過ぎてこじらせた。
20年以上にわたり、寝込んだり、読み書きの練習をしたりする間に、ちょこちょこ働いてきたという感じ。
早いもので、48歳になってしまった。
今年の誕生日を迎えれば49歳になる。

さっさとガツンと働けばいいのに。
家族はそう思っているし、自分でもそう思うんだが、どうにも一歩を踏み出せないでいる。
なぜなのか、列記してみよう。

順番は関係ない。
そのときどきで、何が一番の気持ちになるか変わるんで。

 

①やりたいことに没頭したい

以前は、どれだけ時間を使ってでもいいから、速く読めるようになりたい、書きたいという気持ちだった。
いまは、せっかく楽に出来るようになってきたんだから、どんどん読みたい、書きたいという気持ちが強くなってきた。
どっちにしろ、バイトをしている時間がもったいなく感じてしょうがない。

単純な仕事でも、それなりに覚えなければならないことがある。
もうそれを想うだけで苦痛。

普段の僕は興味の対象が広く、わりあいやりたがりな所があるが、バイトに関しては180度違って消極的な気持ちにしかならない。
これではいけないと、ときどき駅などで配布されているアルバイト情報誌をもらってくるが、9割以上は一度もページをめくらずゴミにする。

この気持ちは、なかなか理解されないと思う。
以前ならまだしも、ある程度目標達成しているにもかかわらず、なぜと。
自分でも困っている。
この粘着気質が仕事に活かされれば都合がよいのだが、あいにくそうならない。
合理性よりも欲求が大きく勝ってしまっている。

どういう状態か例えるなら、転んだり打ったり擦りむいたり、痛い思いをしつつがんばった結果、やっと自転車に乗れるようになった子供と似ている。
乗れたからといってそれで終わりでもゴールでもない、そこからがスタート。
自由に乗り回せるようになると、自転車ほど手軽で便利で楽しい乗り物はないわけで。
いっぱい楽しみたいし、今までの分を取り返すべく乗りまくりたいのだ。
もう今すぐしたい、明日まで待てないってかんじ。

 

②不器用で、仕事で精一杯になってしまう

いやいや、そういうことは休日やアフターファイブにやれればよいのだ。
それが普通というか、当たり前じゃないか。
みんな、そうしてる……だよね。

でも、元来不器用で体力がない自分は、何をおいても仕事優先にしないともたず。
いくらやりたくても、やれる気力が残ってない。
少なくとも慣れるまでの半年、1年は我慢せねばならない。
これがどうも難しい。

つまり、バイトと読み書きはトレードオフの関係。
どちらかを優先すれば、どちらかが犠牲になる。
それで、だいたいの場合、読み書きのほうを優先してきた。

最近は、老いを感じるようになって、ますます半年、一年が耐え難く思われる。

いま僕が20代なら、人生において何一つ無駄なことはないと考えるのはありだ。
でも、48歳でもうそんなこと言ってられるのか。
43歳になった頃に急に白髪が出始めて、45歳になって老眼が始まった。
ずっと、5歳、10歳若く見られてきたので、それまであまり老いを意識することがなかったのだが。
元気にいつまでいられることやら。
このまま終わるのは無念だ。

 

③単純労働でプライドが許さない

自分がつけるような職は、いうちゃ~悪いが底辺労働しかない。
誰も自分のような、経験も技能もない50男を雇いたいとは思わないだろう。
キモイおっさん扱いだ。
労働市場における僕の価値はゼロに等しい。
最低時給で、決められたことを、もくもくとやるような軽作業にありつけるか、どうかのレベルだ。

それがどうにも億劫に感じる。
この後に及んで、この歳で、まだそんな幼稚な考えでいるとはアホとしか言いようがないのだが。

不本意ながら、生活のために、子供のために働いている人は幾らでもいる。
そういう人たちが、縁の下の力持ちになって社会を支えている。
なのに、、、ほんと、ちっちぇ~な、自分って思う。

とはいえ、結局は、受け入れて働かざるをえないので、嫌々ながらもいつも何か自分を納得させるような理由を見つけてきた。
ただ、そこまで辿り着くのがしんどいんだよな。

 

④職場の人間関係が怖い

これまで何度か職場の人間関係に悩んできた。
僕は、どうもいじめのターゲットにされやすく、ストレスに弱いのだろう。
正直、職場が怖い。
もう、あんな思いは二度としたくない。

辞めるときはホッとするが、それで一件落着とはいかない。
長い失意の日々が待っている。
最初は2週間たったら職探しを始めようと思っていても、1か月に延び、2か月に延び、そうこうしているうちに給料が底をつき、そうなると一刻も早く働かなくっちゃという重圧で逆に動けなくなってしまう。
そうやって、1年、2年がたってしまうのだ。

これでは、いったい何のために働くのやら分からない。
どんな仕事もしんどいだろうが、しんどいところがあるというのが通常であって、耐えられずに寝込んでしまうほどしんどいのはおかしい。

いや、そういう目に遭ってばかりというわけじゃない。
日雇いを含め、せいぜい四つとか五つとか、そんなもんだ。
確率的には半分以下だ。
でも、それがどうにもこうにも辛くて、いまだに思い出して怖くなったり、怒りを覚えたりする。
今度、そういう風にならずに済むには、どうすればいいんだろうと漠然とした不安が付きまとう。

最近、自分よりずっと年下の先輩や上司に顎で使われたり、デカい態度で責められるのは我慢ならんと強く思うようになった。
自分が歳をとったからなんだろうな。

①~⑤の中で、これだけは僕自身が変われてもどうにもならないかもしれない。
職場の人間関係で病む人は、引きこもり、ニートに限らず、いまどきの社会問題だ。

 

⑤履歴書で嘘をつくことに疲れた

引きこもりアルアル、履歴書問題にぶちあたるw
ほんと、これ、どうにかならんか。

ろくに働きもせず、読み書きの練習に専念してるなんてアホかなのだ。
それが労働市場でいかに無価値であるか。
恥ずかしいってだけじゃない、まともに書けない読めないようなやつに、仕事なんて任せられないと思われやしないかと不安にも思う。
だから、正直に言う勇気がない。
(実は学習障害と気付いたのは4年ほど前で、そんなことは思いもしなかった。
とりあえず早く人並みになりたいとばかり思っていたし、目標はもっと上の方にあった。)

それで、色々嘘をつくわけだが、30歳までは作家になりたいなんて言っていた。
作家も読み書きに時間を使ってるから。
やってることのレベルが0と無限大ぐらいの差があるが、まるっきり嘘でもないし恰好もつくんで。

今は、歳相応に現実路線、農業ですと言っている。
うちには兼業農家で小さな畑がある(小さいといっても家庭菜園レベルではない)。
父親が定年退職してから、規模を広げて少し売ったりもするようにもなった。
それを、ときどき手伝っている。
この事実に嘘をまぜる。
「父親がまだ元気なんで僕はサポート役ですが、ちょっと今暇だし、ときどき外で働きたくもなるんで」と言って潜り込むのだ。
工場の軽作業なんかに農業従事者はなかなかウケがよいようだ。
僕は見た目、細くて体力がぜんぜんなさそうに見えるが、農家ですと言うと聞いてる人の表情が変る。
そういうことなら体力もあるだろうし、月に10万円ぐらいは貰ってるんだろうと、向こうは勝手に読み違えてくれる。
実際は、体力はなくはないが、労賃は一円ももらってない。

どっちも潜り込むにはよい手なのだが、自分を偽っていることがどうにも心の負担になる。
元来、器がちっちゃいのだ、僕というやつは。

それでも、こうするしかないので、だいぶんとやってきたのだが、またやるのかと思うとゲンナリする。

2018年5月10日 木曜日 でがらし

アラフィフ引きこもりが這い上がるには、マーケット感覚でトライ&エラーしかない

人生のように入り組んだ迷路を、ゴールに向かって歩いている人のイラストです。

20代、30代は、大きな会社で海外相手に働ければとか、大学や会社で何かを研究する人になれればなんて思っていた。

 

僕にも出来るはず?

それは、学生時代の友達や卒業してから出会った友達を見ていて、やりようによっては可能に思えた。
彼らは、学歴的には自分と大して変わらないのに、人が羨むほどのキャリアップを果たしたからだ。
でも、僕にはどうしても無理だった。
読み書きが苦手なため、そこを克服しないことには先には進めなかったのだ。

 

20年もかかって

自分が学習障害と知ったのはつい3年半ほど前だ。
やっと人並み程度に読書を楽しめるようになってきたが、時すでに遅し。
ここまで来るのに20年以上もかかってしまった。
もう48歳だもんな、キャリアップとか、、、プッ、冗談にもほどがある(゚д゚)!

そこまでして拘ったのは、なんとしてもええ所に勤めたいと思っていたのもあるが、もっと根源的な欲求があった。
好奇心を満たしたい、書きたいことを書けるようになりたい。
それが無理な自分をどうしても、どうしても許せなかった。

 

自分を活かすには

もうとっくの前から、労働市場における僕の価値はゼロに等しい。
職歴なし、技能なしのアラフィフに誰が興味を持つことか。
せいぜい使い捨てのコマでしかない。
言われたことをきっちりやることだけを期待された、最低時給の取るに足りない男。

こういう状況で、どうにかして這い上がるには、なにか消費市場に支持されるものがあるかどうか、マーケット感覚をもてるかどうかだと思う。
会社という組織に評価されようと思っても無理だが、お客さんに評価されようと思うならまだ望みがあるから。
だって、お客さんはモノやサービスを、作った人の履歴書をじっくり見てから買うなんてことはないから。

それが役に立つとか、面白いとか、何かその人にとって便益があるかどうか。
価格が妥当かどうか。
ほとんどそれだけ。

インターネットで世界中の人と直接つながれる世の中なんだから。
誰かの何かの欲求を満たすことをシンプルに考えればいい。

こっちの方向ですら東大卒は看板になるだろうが、だからといって三流大卒でも高校中退でもすごく不利ってわけじゃない。
アラフィフ引きこもりという社会的に無価値と思われていることでさえ、ウリになるかもしれない。

 

誰に賛同してもらえなくても

僕に働けとハッパをかけたり、相談に乗ろうとしてくれる人に、この話をしてもなかなか伝わらない。
すごく現実的なことを言っているつもりなんだが。
これまで人並みに働くことすら出来ないできたお前が、そんな実力主義の変わった働き方で稼げるわけがないと思えてならないのだろう。

うちの両親に言おうものなら、話し始めた時点で、お前はアホかと呆れられるか、激怒されるかだ。
また夢みたいなことを言っていると。
そんなことよりも、何でもいいからさっさと働いて、これ以上は小遣いをせびらず、今まで貸した金を少しでも返せと言われるのがオチだ。

そりゃそうだな、やることなすこと鳴かず飛ばずできたんだから、信じろという方がどうかしている。
だから、反論しようとか、説得しようという気はない。

周囲に賛同してもらえなくても、トライアンドエラーで、めげずに腐らずに、繰り返し繰り返し試してみるしかない。
読み書きに拘ってきたときと同じだ。
そのうちいつか日の目を見ると信じて。
時間切れで孤独に死ぬより前までに。

2018年5月5日 土曜日 でがらし

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