共同ブログ

善い人を好きな私の感性は善く、その感性を持つ私は善い人?

炎上

最近ユーチューブのドッキリ動画のコメント欄に、「この仕掛け人本当はいい人なんですよ?」みたいな書き込みがあって、「なぜ、いい人ってわざわざ言うんだろう?」って思いました。
いい人の仕掛け人が悪いことをするとそのギャップで面白いけど、なぜ「本当はいい人」って言うんだろう?
「普段のいい人と仕掛け人の悪い人の時のギャップが最高だ」という意味なのかな?

考えた結果、「こういうことかな?」ってものが浮かんだ。

「私はこの人のファンです。この人は善い人(いい人)です。善い人を好きな私の感性は善く正しいです。そして、その感性を持つ私は善い人で正しい人です。この人が悪い人になると私も悪い人ということになります。だから、それを防ぐためにも、この人は本当は善い人だと知ってください」という自己防衛のためってのが。

もっと考えると、新しいの浮かんだ。

仕掛け人としてドッキリを仕掛けたのに、それを仕掛け人としてではなく、仕掛ける人がそれをしたくてしたと思われて炎上するのを防ぐため。
今炎上社会だし、ドッキリを本気に捉えて、仕掛け人に対して「悪い人だ!」という非難が来るのを防ぐため。

いろいろ考えた結果、炎上を防ぐために「これはドッキリでやってるだけで、この人はいい人です。炎上させるのは筋違いですよ」という意味で、「この仕掛け人本当はいい人なんですよ?」なんだな。ファンとしてその人を守ろうとする発言。

なるほどなあ。今、炎上社会・遵守社会・言葉規制社会だからなあ。

2022年2月14日 月曜日 おいなり

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